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W.E.M【世界の終わる音が聞こえる】 第3話(the heads) 06/12
『冗談だろ?!また、指が動かなかったらどうするんだよ!』
……とはさすがに言えない。
仮に、佐伯佳奈子だけだったら、プロ相手だし、なんか遠い人なわけだし、『悩み相談』みたいな感じで、逆に楽だったかもしれない。『こんなことってあるんですか?』みたいな感じで……。
しかし彼女はプロであって、別にカウンセラーというわけではないから、困るかもしれないけど。
いや、それ以前に、時々弾けなくなることとか、ティアスに知られたくないし。そもそも、彼女の前では弾けなかったことがないから、彼女はそのことすら知らないし。知ったとしたら……なんていうだろう。心配してくれるだろうか。いや、彼女はそれを御浜に話すかもしれないし。
絶対言えないし……。でも、弾けなかったらどうするんだよ。そもそも、オレはこんなプロの前で弾ける様な腕じゃないし!
「別に採点しようってわけじゃないの。だからそんなに難くならないで。ティアちゃんが、君のピアノが好きだって言うから、聴いてみたかったのよ」
「カナ!」
少しだけ照れた表情で、彼女は叫ぶ。オレのこと、そんな風に話してるんだな、って思うとなんだかとても嬉しかった。
「ホントに、何でそんなに自信なさ気なの?話してみたときにはそんな風には見えなかったのに」
「……カナ。もう、人の話を聞いてよ!」
わりと、似たもの同士?この二人。マイペースだな。
「もう、夜中だから……やめとこ、ね?カナ??」
「大丈夫でしょ?ちゃんと防音設備のあるとこ選んでるんだから。私が何で食ってると思ってんの?商売道具よ?」
「男と会うための隠れ家の癖に……」
「いいじゃない。たまには役に立つんだから。ね?」
ね?って、オレに同意を求められても困りますが。さすが別宅、そして儲けてるだけはある。
「適当に買ってきたけど……?お前ら、何やってんの?」
ピアノを眺めながら微妙な空気の中にいたオレたちに突っ込んだのは外に出ていた新島だった。正直、助かった……のか?
「カナ、座ったら?」
「そうね。そうするわ」
エロく、人の悪い笑みを彼女は浮かべる。何か言いたそうに彼女を下から上まで舐めるように見つめた。
「なんか、そういうとこも可愛いわ、ティアちゃん」
「何でカナさん、そんなにティアスのこと好きかなあ?」
リビングのローテーブルの上に、コンビニの袋を広げ、並べながら彼は彼女に突っ込む。よく見たら、佐伯さんとオレが飲んでいるビールと同じものを、彼は買ってきていた。
「だって、かわいいじゃない」
「度が過ぎるんだよ」
そして、ティアスにはミネラルウォーターを買ってきていた。恐らく、いつもこうしてるんだろう。彼らの中の、妙な連帯感のようなモノを感じて、オレは少しだけ退いてしまった。
それを判ってるのかどうか、ティアスが一歩だけ、オレに近付いた。ソファに並んで座るオレ達を、新島がちらっと眺めたのが、妙に恥ずかしかった。
「ティアちゃんの後ろで、沢田くんがピアノを弾いたら、絵になると思わない?2人とも綺麗で」
ビール片手の酔っぱらいのくせに、いや、それだからこそ、佐伯さんはゆっくりと新島の後ろに歩み寄り、座り込んでいる彼の背中を、屈んで撫でた。触れるかどうかと言うくらいのさりげなさだったけど。
「沢田と?まあ、コイツ、顔だけは良いからな」
「そんなこと無いわよ。ティアちゃんが誉めるんだもの。聞いてみたら、良いかも」
もしかして、そう言うつもりで、オレにピアノを弾かせようとしてたのかな、この人。
「……誉めてたっけ?」
「誉めてません」
意地悪くティアスに聞いてみたけど、案の定、彼女は照れた表情をしてそっぽを向いてしまった。その様子が妙に可愛い。
彼女は、オレには誉め言葉を聞かせてない。ただし、否定もしてないのも、いまは判ってる。彼女はあの時、まるでオレの心を見透かしたように『楽しくしてあげる』と言っただけなのだから。
「見栄えは、合格点。あの、年齢相応の汚れてない色気が良いじゃない?」
「わからん。……それって、顔が老けててエロイってこと?」
「もう、そう言うとこ、子供よね。とりあえず、見栄え上、ティアちゃんと並んでたら、かなり目を惹くと思わない?って言ってんのよ」
そう言う話は、本人の目の前でしない方がいいと思うけど。気にしてないな?
「ステージではね、ティアちゃんの綺麗さを出したいわけよ。普段はこんなに可愛いのに、がらっと変わるところが魅力よね」
隣で、ティアスが照れて俯いていた。しかし、佐伯さんって、ホントにティアスのこと好きだな。でも、ステージ上の彼女は、確かに綺麗だけど。
嫌いじゃない。
「でも、それなら白神の方が似合ってるかもね。ステージに2人で並んでたら、作り物みたいで、綺麗って言葉にはぴったりだ。沢田は……」
「言いたいことがあるなら、はっきり言え、はっきりと。でも、まあ、その意見にはおおむね賛成だけど」
「誰?友達?」
また、彼女は新島を撫でる。今度は、右の耳を左手で。そしてやっぱり、触れるかどうかの距離で。髪を弄ぶような手つきで、彼から手を離していく。エロイな、しかし。隣にティアスが座ってることと相まって、見てるこっちが、妙な気分になってくる。新島は何食わぬ顔してるけど。
それにしても、ティアスは、オレのことは佐伯さんに話してたくせに、御浜のことは話してないってこと?
「御浜のことよ。沢田くんのお隣さん。ほら、この人」
……へえ。御浜に関しては、写メとかあるんですか。へえ……。しかも、話したことがあるっぽい口振りだし。余計な期待したじゃねえか。
ティアスは佐伯さんの元に移動し、自分の携帯を見せた。
「……息を飲むくらい綺麗な子ね。中身も外見も。今どきこんな子いるのね。モデルか何か?」
「いや、王子様系一般人」
「なに、その分類?」
新島の適当発言について、佐伯さんがオレに聞いた。
「いや、まあ。間違ってないと思います。近所のおばさまがたにも、見かけ込みで『息子にしたいくらい良い子』と大人気なので」
「御浜は、良い子だと思うよ?」
「そう?ティアちゃんまでそう言うなら、そうかもね。でも、確かに、お似合いって感じ。ティアちゃんもこの子も、汚れてない感じがして」
ええと。オレは汚れてるってことでしょうか。汚れてない色気は、ピュアさに完敗☆ってことでしょうか?だから、何でそう言う他人の評価を人前でするのか、この人達は!!
「……でも、私は沢田くんのピアノが好きだけど」
ちらっとオレを見た後、目をそらし、俯きながら彼女はそう言った。もしかしたら、オレが不機嫌な顔をしていたのに気付いたのかも知れない。
携帯を閉じ、黙ったまま、オレの隣に戻ってきた。
期待が確信に変わっていく。
ダメだって。もう、完全に彼女のことを見ることが出来ない。
ダメだって。彼女の横にいちゃいけない。逃げなくちゃ。
オレは、この女のこと好きになんてならない。好みだけど、嫌いじゃないけど。それだけだって。
でも、どこに逃げればいい?家には帰りたくないし、寄りつきたくもないから御浜の家も秀二の家もダメだ。新島は……ここにいるし。
「す……すみません、ちょっと、電話が……」
上擦ってしまった声を隠すように、急いで携帯片手に席を立ち、奥に向かって廊下を進む。
広いけど、部屋数自体は少なく、寝室が一つと、ゲストルームらしき部屋があるだけだった。まあ、男と会うためっつーか、その男は新島なわけだけど、隠れ家に使ってたんならこんなモンかとも思った。
それより、電話。携帯のメモリを出しながら、他に泊めてくれそうなヤツを探す。でも、こんな時間だし、難しいかも。もういつの間にか11時だ。そろそろ地下鉄もなくなる。ここ、確か終電の最終駅だし。
「あ、相原?お前、今夜さ……」
『悪い。いま、ちょっと無理。クリスマスに女に振られ……』
聞かなかったことにしよう。そんな不幸な現場(オレも似たような目に遭ったからこそ)に居合わせた男と一晩過ごして、傷を嘗めあいたくはない。とりあえず、愚痴をこぼす相原の声を遠ざけるように携帯を耳から離しつつ、他に誰かいないか考えることにした。
したけど……オレ、友達少ねえなあ……。真の家とか無理だし。
「沢田くん。何してるの?携帯かけてるんじゃないの?」
つけっぱなしの携帯を腕を伸ばして自分から離す姿は、確かに奇妙だったかも。不思議そうな顔を見せるティアスの気持ちもわからんでもない。
『え?沢田、もしかして女といるの!!酷!!裏切り者!!』
相原が電話の向こうで何か叫んでいたが、思わず電話を切ってしまった。
「いや、まあ……その。何だよ?」
「もしかして、今日、帰りたくないんじゃないの?沢田先生のお客さんだなんて言って。沢田先生、そんなこと一言も言ってなかったよ?」
そう言えば動物園を出てから、オヤジの伝言を思い出して、ティアスに親父へ連絡するようにメール入れといたんだっけ。連絡したんだな……。
「泊まるとこ、探してた?こないだ、灯路の家に泊まった話も聞いたけど?」
「別に、なんでもいいだろうが。……新島の家に泊めてもらおうかな?」
「灯路は、カナを送りに出てったよ?」
「は?なんで?」
「さっき、急に仕事の電話が入って、タクシーで事務所に戻るって」
「送るって……どこまで?ここの外?」
「ううん。ついていった」
首を横に振り、あっさりそう言った。
「だから、帰りたくないならここに泊まってけば?以前、泊めてもらった借りもあるし」
ダメだって。お前からも逃げたいのに。
「嫌いじゃない」、それだけだったはずなのに。愛里がいるから、御浜がいるから、好きになったら面倒くさいから……。必死で押さえていたのに、隠してたのに。電話もメールも、彼女と過ごす時間も、それ以上のことを考えないようにしていたのに。
判っていたから、見ないフリをしていたのに。
期待が確信に変わって、確信がオレ自身の心を刺激して、押さえつけていたモノを、全て壊す。
「……ホントに、良いのか?」
「?うん。別に、良いけど」
ダメだって言うことはよく判ってる。だけど、もうどうしようもなかった。
御浜に申し訳ないと思いながら、彼に嫉妬していた自分が、何を言っても仕方がなかった。