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W.E.M【世界の終わる音が聞こえる】(W.E.M[World's end music])

W.E.M【世界の終わる音が聞こえる】 第3話(the heads) 05/12


 
 「おいでよ」と彼女が言うので、卑怯だと思いながら黙ったまま、彼女の後についていった。そこで、オレは初めて佐伯佳奈子と話をした。
  雑誌やテレビでしか知らない人間と話をするのは、何だかくすぐったい気分だった。御浜ぐらいにはこのことを話してやろうと思ったけど、ティアスのことを話すのが面倒で、やめようなんて考えながら、彼女の話を聞いていた。
  帰りのタクシーの運転手に、オレ達のことを「教え子達なの」なんて、当たり障りのない話をしている彼女を、新島が複雑な表情で黙って見ているのを目の当たりにしてしまった。

『理由考えるより、これからどうしようかなって考える方が楽しくない?』
『……新島って、そうやって彼女とつき合ったんだ』
『そうやって、つき合ってるんだよ』

  この状況で、こんな扱われ方で、どうしようかな?なんて考えられるんだろうか。
  重いな……。

  重く、しかし当たり障りのない会話をしながら、10分ほどでタクシーは止まった。オレが思っていたより、ずっと彼女たちの家は近かった。駅から近いのに喧噪からは離れている、N市内でもいくつかある、高級住宅街に分類される場所だった。すぐ傍にある女子大も有名なお嬢様学校だ。(どんな女が通ってるかなんて知らないけど)

「……誰のうちに、金があるって?」

  オートロックキーを開け、ホテルのロビーと見まごうばかりのエントランスを抜けたとき、思わずそう、新島に文句を付けてしまった。

「だって、ここはカナさんの買ったマンションだし。でも、さすがにグランドピアノは置いてないぞ?」

  だって、このやたら広い共有スペースは一体なんだ?部屋はどんだけ広いんだよ。

「それは、別宅だからだろうが」

  ヒトのことをお坊ちゃんだの何だの言ったくせに。オレんちなんか、大したこと無いじゃないか。
  普段、ティアスはこんな所に1人でいるってこと?彼女は、オレんちに来てどう思ったんだろう。思わず、佐伯さんと2人で先に歩いていくティアスを、オレは睨み付けるように見つめていた。

「ティアスんちは、フツーだよ。どっちかつうと。親いないから遺産と義兄ちゃんの稼ぎだけで食ってるし。あそこんちの義兄ちゃんは、生活に困らない以上に何とかしようとするヒトじゃないし」
「……いや、別に……」
「顔に書いてあるぞ?別に、自分で稼いでるわけじゃないんだから、そんなこと気にしてどうするんだよ。お前んち、充分だって」
「だから、気にしてねえって」

  小声で言い訳して、彼女たちを追いかける。彼女には聞かれたくなかった。やたら広いエレベーターで4人、沈黙が流れる。
  そう言えば、愛里の家もマンションだけど、でかいんだよな。まあ、でもそれは、母さんの実家だから、気にはしてなかったんだけど。オヤジと一緒に挨拶に行くと、やたら『困ってない?』なんて聞かれるんだよな。
  子供のころのことは覚えてないけど、もしかしたら、昔の方が酷かったのかも知れない。オヤジがこんなに出世する前の話なわけだから。伯母さんにしたら、単純に甥や姪が心配なだけなんだろうけど。
  愛里の言葉が、彼女の考え方が、オレの中に染み付いて、オレを振り回しているのを自覚させられる。自覚してるのに、判ってるのに、振り回され続ける自分が滑稽で笑ってしまう。それでもやめられないんだから、オレは相当重症だ。

「あ、そういえば、何も買ってなかった」

  カードキーを差し込みながらティアスが思い出したように佐伯さんに声をかける。

「何もって?」
「お茶すら出せないけど」
「先々週来た時も、そんなこと言ってなかった?ちゃんと暮らしてる??」
「……一応。ご飯は食べてます」

  どうやって食べてんだか。生活力皆無だな。珈琲一杯満足にいれられなかったし。

「灯路、ティアちゃんのこと、もうちょっとかまってあげてよ」
「えー。これ以上かよ。ただでさえ、保護者かよ、って言われてんのに」

  そう言いながら、オレの腕を引っ張り、佐伯さんにオレのことを指し示す。隣のティアスが、少しだけ不愉快そうな顔をした。

「大体こいつ、不器用すぎるんだって」
「そこまで酷くないわよ。今日はたまたま!ちょっと買い物に行かなかったら、朝、食べるものが無かっただけだもん」
「バイトしてるわけでもないのに、行かなかったって状況があるか!」
「もう、煩いわね。そんなこと、ここで言わないでよ!いいから、なにか買ってくるから、先に入ってて」

  むっとした顔でエレベーターに戻ろうとするティアスを、新島が引き止める。

「いいって。もう遅いから、オレが行く。カナさん達と待ってろ」
「灯路!」
「ティアちゃん、いいから入りましょ。沢田くんも、つき合わせちゃって悪いわね。お家はいいの?」

  何と言うか、生活感の無い人だった。笑顔が作り物みたいに綺麗で、少しだけ戸惑った。二人に言われ、部屋に入る。

「いえ、もともと、今夜はうちに帰る予定ではなかったので。大丈夫です」
「そうなの?」

  あ、急に「同級生のお母さん」みたいな顔しやがったな。

「……実は、今夜は父の客が来てるので、せっかくなので気を使って、友人宅に泊まりに行くと言って出てきてたのですが、その友人と連絡が取れなくなってしまったところに、彼女たちに声をかけられたものですから」
「そう」

『ついさっき、東京出張が決まって、戻りは明日の朝だな、早くて。明朝、直帰して良いか?』

  そう言ってたはずのオヤジが、愛里を迎えに現れた。
  『彼』は東京に行かず、地元にいる。彼女も。
  『彼』と彼女が一緒にいるにしろいないにしろ、彼は家に戻ってくるだろう。

「……すぐに、連絡が取れると思いますから。うち、放任主義なんですよ。父子家庭ですし、父は今、大学が忙しいみたいで。それより、新島の家の方が大変じゃないです?」

  彼女は、黙って微笑むだけだった。
  持ち主同様、まるで雑誌に載ってるような生活感のない、30畳くらいはありそうなリビングに通され、ソファに腰かけた。

「ティアちゃん、もう1ヶ月くらいこの部屋にいるわよね。ずいぶん綺麗にしてるじゃない」
「使ってないから」

  佐伯さんに答えながら、ティアスはオレと一人分の間を空けて、同じソファに座った。
  微妙な距離感に、彼女の方を向くことが出来なかった。

「どうして?」
「だって、寝室だけで十分じゃない。あと、キッチン」
「キッチンも、あんまり使ってる感じがしないけど」
「そこは突っ込まないでよ」

  チラッと、彼女が隣に座るオレを見たのが判った。
  もしかして、オレに対してかっこつけてるってこと?気にしてるってこと?

「お前に生活感がないのは知ってるよ」
「失礼ね。ちゃんと暮らしてるわよ」
「リビングとか使ってないの?」
「だって、広すぎて落ち着かないじゃない。ピアノを弾くくらいよ」

  彼女の台詞に、思わず顔が綻ぶ。指差した先に、アップライトピアノがあった。彼女がグランドピアノの話をした理由も判った気がした。茶化してるわけではなく、うらやましかったんだ。

「飲み物も食べ物もあるじゃない。ほら。沢田くん、どう?」

 佐伯さんは、これまたやたら広いアイランドキッチンに入り、業務用並にでかい冷蔵庫を開け、缶ビールを出した。指さした先には、乾きモノが並ぶ。

「あのねえ。私も沢田くんも未成年なの。大体、私は飲めないし。カナは、ここに来るたびにそんなモノばっかり買ってきて」
「あ、オレはいただきます」

 こんな日は、飲まなきゃやっとれん。立ち上がり、キッチンへ向かい、佐伯さんからビールを受け取る。
  ティアスのこの態度に、浮かれてる自分がいるのも自覚してる。だって、最初の印象が悪かったから気付かない振りをしてたけど、やっぱり彼女は好みのタイプだし(愛里と似てる、と思う程度には)メールも電話も、苦になるどころか楽しいし。
  もしかしなくても、オレはこの女のこと、けっこう好きなのかも知れない。
  でも、そう思うと、余計に辛くなる。彼女のことを、御浜が好きだし、オレはどうしても、あの酷い女を心の中から捨てきることが出来ないし、ティアスをその代わりにしているような気がしてたまらない。
  ティアスとのやりとりで、自尊心を守っているような。でもそれは、ティアスにも、御浜にも失礼な気がするし。

「ねえティアちゃん。沢田くんって、いつもこんな感じ?」
『え?』

 佐伯さんの思わぬ言葉に、思わずティアスと返事がかぶってしまった。

「……ちがうよ」
「そうよねえ。聞いてた話と違う感じ」

 缶ビール片手にオレに人の悪そうな笑顔を見せた。
  しかし、かなりいい年のはずなんだが、感じさせんな……。中学生の娘がいるはずなんだが。思わず誤解しそうなくらい、表情がエロイし。

「ねえ、そこにピアノがあるから、何か弾いてよ?ティアちゃんから聞いてるの。弾けるんでしょ?」
「……いま?ここで?」

 佐伯佳奈子の前で?!

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