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Voice【最果てから呼ぶ声】(Voice[that is called farthest])

第1章
05

「失礼ですね。実験器具より重いものを持ったことがないだけですよ。バンをまわしてきますから、そうっと運んでくださいね。女の子でも怪我人ですから」

 扉を開けっ放しにして、急いで階段を駆け下りていった。

 女を抱くのはあまりいい気分ではないけれど、仕方がない。なるべく動かさないように、抱きかかえるようにして女を持ち上げる。……カホ、とか言ったっけ。見かけよりもずいぶん重かった。人間の重さではなく、鉄の塊を余分に持っているような。女が身にまとっている帷子の重みのようだった。

 何でこんな仰々しいものを?

 イヤな予感が頭を駆けめぐる。本当にどうして、こうお人好しなんだあいつは。いや、それがいい所なんだけど。

「よっと」

 気を遣ってるのと重みで、思わず声が出る。昔ながらの日本家屋の狭い階段を下りるのに、こんなに苦労するとは思わなかった。
 密着した体から染み出す、血のニオイ、汗のニオイ、なのに少しだけ花のようないいニオイがする。あの不愉快な甘ったるさはなかった。ただ、そんな風に感じている自分が不愉快だった。

 何とか階段を降りきり、妙な緊張感から解放され、大きなため息をついた。知流みたいにこの女が心配、ってわけじゃないけど、命に別状はないとはいえ、怪我人を介抱するっていうのは楽なもんじゃない。
 玄関は開けっ放しにしてあったが、誰もいなかった。バンをまわすとか言ってたから、隣の次郎の家にいるのだろう。すぐ戻ってくるはず、と自分に言い聞かせはしたものの、あまりいい気分じゃない。この女が目を覚まさないのが救いだった。
 女の体は嫌いじゃない。でも、担ぐなら死体の方がきっと気が楽だろう。しかし、残念ながらこの女は生きている。微かな息づかいが耳をかすめ、低い呻きが体に響く。

 知流の言葉と顔を思い出し、仕方なく心配なフリをして声をかける。顔はどうせ見えないだろう。

「大丈夫か? いま、病院に運ぶところだから…… 」
「……この声、クロガネ……。あんたのせいで! 」
「何を……っ! 」

 女は一瞬、顔を上げたが再び俯き、力任せに俺の体をつかむ。

「やめろって、ケガしてんだろうが! 」
「誰のせいでこんなこと……! クロガネ、あんたのせいよ! 」

 もしかしてこいつ、俺のことを敵と勘違いしてる?

「俺はクロガネなんてやつじゃねえって! 」

 平和的解決を試みようと、半ば叫ぶように訴えてみたが、逆上して周りが見えていないようだ。抱きかかえられて(というよりも抱きしめている状態になってしまったのだが)いるのに気付いたようで、もう手がつけられない。

 何とか受身はとれたものの、なすがまま、女のクッション代わりに背中から倒れ込んだ。
 玄関から差し込む光が緩やかだけれど、まぶしかった。まっ白で、女の顔は影になってよく見えなくて、それが俺の心の奥の方から殴りかかる。

 女の顔が、古い記憶の中の女に変わっていく。

 自嘲気味に笑いながら、裸のまま俺に馬乗りになって、悦んでいた。音もなく俺の首筋に手を差し入れ、唇を重ねる。そして、その手をじわじわと食い込ませていく。徐々に呼吸がとぎれかけていく中で、俺は救いを求めて部屋の扉を見つめる。

 扉は開いていた。

 外の世界の代わりに、誰か立っている。

「やめろ! 」

 胃液が逆流してむせる姿を、女は馬乗りになったまま見つめているようだった。ぎりぎりのところで何とか耐え、顔を隠した両手の隙間から女を睨み付ける。ピントが合うように現実が見えてきた。

 女は、俺の中にこびりついた記憶とは決定的に違っていた。首筋に伸ばそうとしていた手は震え、わずかに近づいてきていた顔は脅えの色が強かった。涙をいっぱいに溜めたような、潤んだ瞳が印象的だった。

「……ごめんなさい。ちょっと……若いみたい。そんなに脅えないで。私が悪かったから」
「脅えてねえよ。脅えてんのは、お前だろ」

 びくっと、体ごと震えたくせに、すぐに真顔になって

「だって、あなた、泣いてる」

 自分だって脅えた顔をしながら、俺の頬に手を伸ばし、涙を拭う。

「うるせえよ! 」
「ごめんなさい。だって…… 」

 言いかけて、俺から目をそらさずに、自らの傷に触れる。痛さで初めて、自分がケガをしていたことに気づいたような。

「……あなた、よく似てるわ。知らない? クロガネって言うの。本当にそっくり。年はひとまわりくらい違うけど」
「知らねえよ、そんなふざけた名前の奴。……そんなことより、お前、血が出てる。それから、そんなに元気なら下りろよ。気持ち悪い」

 さっきから、吐き気と動悸が止まらない。いつもは吐き気だけなのに……暑くて。あんなこと思い出したからだ。最低だ。もう、五年も前のことなのに。

「気持ち悪いって……。そんな……」

 脅えた目のまま、必死に俺を見つめているように見えた。泣くのを必死に我慢している子供のように。まっ青な顔をして。

「……傷が開いてるぞ。早く行って、塞いでもらわないと。歩けねえならもっかい、連れてってやるから」

 こみ上げる嘔吐感を何とか押し込め、女の顔を見ないように、抱きかかえる。

「いい、大丈夫……。知流はどこ? 私のこと、助けてくれた……あの人なら」
「何だよ、人がせっかく」

 気を遣ってやってんのに。

 女が開けっぱなしの玄関から重い足取りで出ようとしたとき、ちょうど次郎のバンが目の前に止まる。

「カホ、気がついたの? 歩いて大丈夫なの? 」
「う……うん。大丈夫よ」

 知流は助手席から慌てて飛び出し、力無く微笑む女に駆け寄る。拾ったときに何があったか知らないけど、何だよその態度。知流も、この女も。

「良かった……」

 知流があんなに喜んでる。この女の無事を。目を覚まして微笑んだことを。
 でも、俺は……。

「ごめん、カホ。後部座席に横になってて。千紗がいるから」

 千紗も車を降りて、女をフォローする。知流は、俺に駆け寄ってくる。

「コタ、どうしたんだよ?! 顔、まっ青……」
「俺は……女なんか、絶対信用しねえ」

 知流はそれには答えず、力の抜けきったこの体を、半ば無理矢理バンの助手席に押し込んだ。

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