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或る夏の日(5 years ago)(天に向かって唾を吐け!【 Spits against heaven ! 】番外その1)
01/03
あれは確か、大学1年の夏休みだった。
ナギが受験で、毎日のように予備校に通っていたから、そうだろう。
よく体力が持つものだと、オレは彼に感心していた。
当時の彼は、朝9時から美術研究所の夏期講習。それを4時までやって、その後5時から夏期講習夜の部。それが8時まで。家に帰るのは9時過ぎで、それから11時まで道場で稽古。もちろん、門下生はそんな時間にはほとんどいなくて、大抵オレと二人で型稽古になるけど。
そんな生活が月曜から金曜まで毎日。土日に至っては、朝5時起きの朝稽古から始まり、夕方5時までずーっととにかく稽古稽古。さらに、中緒家の食事を毎食作る。
まるでストイックな修行僧か、体と心を壊す寸前の日本のサラリーマンだ。
それにつき合ってやってたオレも、相当おかしいけれど。
ナギが門下生の間で天才と呼ばれているのも知ってる。血だの遺伝だの、それで強いんだと揶揄されてるのも知ってる。
だけど、彼は何より努力をしている。オレはよく判ってる。
そう言われてるのを知ってたから、彼はさらに努力を重ねる。それも判ってた。
彼は頑張ってる。オレは知ってる。オレだけが知ってる。
でも、本人がどんなに気を遣っていても、体はウソをつけやしない。ナギは判ってるかな?
「師範代、何だかお疲れですね?痩せました?」
最近は、護身術がわりに合気道を習おうと、女子高生とか女子中学生とかOLさんみたいな女達が道場にやってくる。師範がちょっと色気を出して、夏限定とは言えそんなコースを作ったもんだから(オレがアイデア出ししたのが悪いんだが)結構な人数がいる。
しかもどこでばれたのか、『土日のみに出没する美形の師範代(ナギのことだ)』目当ての女が一気に増えた。
休憩中にこの台詞を言った女は、夏休みが始まってから彼女で何人目だろう?ナギと同じ年くらいかな?
声をかけてくる女は、下は中学生から、上は30目前のOLまでと幅広い。良くも悪くもナギは目立つし、傍目には優秀な師範代だ。
「そう?引き締まったって言ってよ」
「あ、そうですね。でも、心配になって……」
その台詞も何人目なんだか。ナギも道場の中だから、妙に愛想振りまいてておかしいし。
「大丈夫だよ、ありがとう」
……別人!!……てことも無いか。心配してくれてるヤツに対して、嫌味を言うような根性悪ではないか、あいつは。
ただ、心には残らないけどね。みんなが同じこと言うから。
それどころか、ホントにやつれてきたのかと思って、気にし始めてる。ナギが健康管理に気をつけたり、生活が限界なことに気付くのは良いことだけど、女どもの態度は、恩着せがましいったらありゃしない。
心配です。
じゃあ、君はナギのために一体何が出来るの?どんな支えになって上げられるの?
精神的な負担を増やしただけじゃないか。周りからそう見られてる、見ず知らずの人に気付かれるくらい疲れてるって、気にするだろう。所詮、ナギに自分という存在を気にとめて欲しいだけのパフォーマンスなのに。
気にとめてもらえてたら、誰だって嬉しいだろう。でも、それってホントに心配してるってことか?
そろそろ来るかな。
ナギはもう、言われた言葉だけが気になって仕方がない。
だから、それを言った奴より、頼りにしてるオレの元へ、こうして駆け寄って耳打ちをする。
「なあなあ、オレってそんなにやつれた?今日、5人もそうやって聞かれた。なあ、ユズハ」
ナギ、お前は数も数えられないのか?今日は6人、土曜日も4人いた。その内3人はかぶってる。追っかけ度は上がってるぞ。
「いつも通り、ちっこいけど?ちょっと細くなったかな?」
彼は道場では猫かぶってるからか、小声で文句を言い始めた。変なところで自尊心強いんだから。
「ちっこいは関係ねえじゃんよ!!」
「あ、そう。じゃ、弱っちいから夏バテかな?夏バテにはウナギが良いぞ。明日は土用の丑の日だ。お前のおごりで食いに行くか。ひつまぶし食いたい。あと、う巻き」
「えー、う巻き?オレの中ではあり得ない食いモンなんですけど。つーか、暇な大学生、バイト位してんだろ?お前がおごれ!!食わせろ!!」
「オレ、バイトなんかしてないし。ボンボンだから」
「随分ケチなボンボンだな、おい。明日、ぜってえお前の金でウナギな!」
「店が閉まる前に帰ってこれたらね」
「帰る!だから待ってろ!」
鼻にくっつきそうなくらいの至近距離で、人を指さすなよ、お前は。門下生が見てるぞ。しかも、言うだけ言って、素知らぬ顔で戻ってくし。
ウナギはたんぱく質、ビタミン、ミネラルが豊富で……夏バテには……いや、別にウナギがホントに体にいいかはおいといて。どうせ夏のウナギなんて大してうまくもないし。ナギがついてくれば良いんだから。
毎日毎日同じ行動を繰り返しやがって。頑張りすぎて、周りが見えなくなってんだから。
同じコトの繰り返しだって、精神を蝕むこともある。
……女子護身術クラスの指導をするナギは、普通に見えるけど。頑張りすぎてない?お前。心配してるなんて絶対に言えないけど。
そばにいて、一緒に歩むことにはナギは何も言わないけれど、オレが彼を支えようとしてると知ったら、彼はそれを拒否するだろう。
人の思いを受け取ることを知っていても、その思いに対して『申し訳ない』なんて思ってしまう。
ナギはそう言うヤツだから。
「田所くん。……ちょっと」
……師範だった。最近、ナギほどじゃないけどやつれたな。もうお年だし、体調が悪いんだろうか。
ナギを見ていたこと……この人なら見抜いてそうだな。
「良いんですか?夜間クラスは?」
「今日は佐中くんに任せたよ。君も彼も、そろそろ指導する立場にまわってもらわないと」
師範の手の先で、佐中さんが会釈をしてくれた。悪い人じゃないと思うけど、師範の教えそのまま生きてるような人で、面白みがない。まあ、忠実な僕って言う感じだな。ベテランの段が上の方の人たちの中でも、ナギに対して悪意を抱いていない数少ない人だから、師範も信頼しておられる。
ナギは、師範の義理の息子とは言え、この大きな道場を仕切って行くには若すぎる。去年、師範代になったばかりの高校生だ。
今の必死な彼を見ていると、ナギに会ったばかりのころを思い出す。
あの時、オレはあいつのことが苦手で、ケンカすらしなかった。
苦手だった理由は、後々判るけれど、その時はそれすら判らないくらい子供だった。自分が世界で一番かわいそうだと思いこんでる哀れな子供。ナギもオレも。
師範は、オレのこともナギのことも見透かしてる。もしかしたらオレ達は、あのかわいそうな子供のままなのかもしれない、あの人の頭の中では。
奥の和室に連れられ、師範の向かいに正座する羽目になる。この人の前は本当に緊張する。冷や汗が止まらない。
「どうかね、うちの師範代は」
直球だよ……この人、直球過ぎるよ……。
「いえ、まあ、頑張ってるかと思います。受験勉強も大変なようですね」
「週末くらい休めと言ってるんだが、きかないんだよ。だから週末の護身術クラスを、君に任せようかと思ってるんだが」
「……はあ……。あの、師範、その……話の繋がりが……」
「だから、君が護身術クラスを担当すれば、ナギが週末出てくる理由はなくなるだろう。君ももう15年くらい通っているか?技だけならもう右に出るモノはいないだろう」
「14年です。……オレはまだまだ人に教えられるような」
「でも君は、この道を極めるつもりだろう?ナギよりもずっと真剣に」
だから、直球投げるのやめてくれないかな。人の心が読めるんじゃないのか?この人は。
「道を極めることと、今回の件は……」
「良いじゃないか。機会が重なっただけだ」
そうだけどさ……。なんでこういう変なとこだけそっくりかな、この義理の親子は。ヒジリやマドイがこの人の娘だって言われても、あんまり信用ならんけど(母親にはそっくりだったけど、この人には全く似てないし)ナギと親子って言われると、納得してしまう。顔は全然似てないのに。
「ナギが、納得しないでしょう。それに、オレがクラスを請け負っても、あいつは出てきますよ?師範が息子さんの体を心配するのはよく判りますが」
「そうだな。君は彼の心を、プライドを損なわないことばかりを考えているな。ナギはあまり寝ていないようだ。よくぼんやりしている。受験勉強が無駄にならないと良いがな」
さらっとそういうことを言うか?この人は。心とプライドを大事にしてるってか。……その通りだよ。
「……そう言えば、彼は本当に芸大を受けるんですか?県内にはありませんよ?専攻としてならあるかもしれませんが」
「そうだな。国公立を中心に受けるつもりらしいけれど」
国公立ったって……。国内には数えるほどしかないし、芸術大学で建築を目指してるんなら……。
「ここを出るってことですか?」
「そうなるだろうな。ナギもそれを判っているから、必死なんだろう」
……受験なんか、失敗すればいいのに。
願うのだけは、自由だ。口には出さないけど。
「……師範は……もしかしたら、ナギ以外の後継者をお探しですか?」
「いや、それはないよ。ナギの努力も、私の思いも、同じ方向へ向かっているのに、それを崩す必要はあるまい」
ナギが例えそれを心の底から望んでいないとしても。彼の努力は望んでいない現実の中で必死に生きるためのもの。その努力をわざわざ無駄にする必要はないのだと。
言うなれば、彼の努力する方向を、彼が望んでいるのだと。
この人のエゴともとれる。でも、本当にナギのことを思っているんじゃないかと感じるオレは、この人に傾倒しすぎているのか、ナギに執着しすぎているのか。
「師範のご提案、半分お受けしましょう」
「半分?」
「オレはまだ若いですし、今ナギのかわりにクラスを持ってもやっかまれるだけです。師範の息子で、後継者になるわけでもない」
師範の息子であるナギですら、あれだけやっかまれているのに。
だからオレは、彼には判らないように、彼を救わなければ。
「だから、クラスを受け持つお話は、もう少し時間をください。でも、ナギが休みを取ることは賛成です。オレが彼を休ませます」
「そうだな。それが君にとって最善の策だな。ナギのプライドも大事に出来るし、彼も休ませられるし、やっかまれない、と」
……だから……。もう、力が抜けるっつーか……。いや、冷や汗は止まんないんだけど。止まんないのに、何その的確なつっこみは。
「戻りたまえ。夜の部が終わるころに私も戻るから、それまで頼むよ」
そして唐突……!
「あの、とりあえず、休ませるって言うのはですね」
「戻りたまえ」
好きにしろってことだと解釈して良いんでしょうかね。許可をもらったことにするぞ。
なんかオレ、ずっとここんちの親子に振り回されてる気がするな。
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