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天に向かって唾を吐け! [Spits against heaven!]

第41話 続々々・エイイチロウ


 エイイチロウに言われ、カナタは改めて携帯を開き、マドイからの着信を確認する。17時5分だった。ちょうど移動中だったから気付かなかったのだと、少しだけ後悔した。

「ごめん。電話くれてたんだね」
「あ、いいの。別に。時間潰そうと思ってただけだから」

 彼女は笑顔を見せる。いつものように。だけど、目が赤いのが気になった。

「……もしかして、泣いてた?だからお兄さん、オレのこと呼んだのかな?」
「泣いてないよ。別に。泣きそうにはなったけど。目、赤い?」
「うん。何かあった?」

 焦っているかのようなカナタの態度に、マドイは戸惑った。けれど、この間から、カナタが少しずつだけれど、強い態度で彼女に向かっていることも判ってはいた。

「何かって言うか……。ちょっと、お説教されただけ」
「お説教?うーん。エイジやオレにもしてたからな。何のこと?ゲーム?」
「カナタ達はゲームのことお説教されたの?あの人、説教好きなんだ。兄さんみたい」
「そうだね」

 胸をなで下ろす。彼女に断ってから、隣に座った。

「時間を潰すって……ヒジリさんは?」
「兄さんといるの。だから」
「……そっか。楽しんでると良いね」

 彼女の膝の上で、両手を重ねる。その行動に、マドイは微かに体を震わせた。

「どうしたの?」
「なんでもない。なんか、この間と違うな……って思って」
「違う?何が?」
「カナタと、私」

 その台詞に、窘められたと思って、苦笑いをするカナタ。

「……ごめん。行きすぎました。でもその……あ、そういえば、ここ、こないだ来たところと同じ場所だよ?覚えてる?」
「覚えてるよ?」

『あの子の気持ちに、何も確証はないのに。あの子は何も変わらなかったのに。そこから、何とかしようって、動かない』

 自身の言葉を、否定したかった。隣を一緒に歩いてくれるエイジが言うように、「必死で何かを求める」自分になりたかった。
 彼女のことをこんなに欲しているのに、そのために動きたいのに、動けない。自分の弱さのせいなのかと思うと、悲しくなる。
 遠巻きに兄と話すエイジが、カナタを見ていた。
 彼女の腰に手をまわし、少しだけ自分の方へ引き寄せた。

「カナタ」
「いやですか?」
「……いやじゃないけど、恥ずかしいから。エーチロさん、見てる」

 この間、彼女とキスをしたときと同じように、彼女は照れているだけのようにも見えた。カナタは、そんなことを冷静に判断して、自分を慰めている自分が嫌だった。
 カナタは、彼女から手を離さなかった。彼女もまた、彼を力ずくでどけようとはしなかった。

「お兄さんと、どれくらい一緒にいたの?」
「……うーん、カナタに電話して、すぐくらいかな?いつもみたいにカメラまわしてた。すっごいおかしいの。あの人、カメラ持ってると周り見えなくなっちゃうんだね」
「そうなんだ」

 彼女の着信のあった時間から、逆算し、心の中で舌打ちをする。彼女にはそんな顔、見せられやしない。笑顔で、言葉を選ぶ。

「結構、長い時間一緒にいたんだね。2人で?」
「うん。でも、ご飯食べて、話をしただけ」

 そう言うの、世間ではデートって言いませんか?と視線だけで突っ込むカナタ。その言葉を彼女に告げて、そう認識させたくなかった。「だけ」と思っているのなら、そう思っていて欲しかった。

 カナタは、自分が少しずつマドイに近付いていったことを思い出す。ナギを探しながら、彼女と普通科の校舎を歩いていたときのことを。
 2人で歩いていたら、たくさんの生徒が彼女に話しかけてきた。男子からも女子もから気軽に。だから、ナギの話を聞くことは非常に容易だったのを覚えている。その一方で、彼女を見て逃げる学生もいた。彼女に関する噂を後でエイジから聞いた。彼女は人気があると同時に、一目置かれているのも判った。友達も多いようだった。カナタに対しても、疑惑の目が取り除かれたあとは、同じように優しかったし、他の人と差を付けずに話をしてくれていた。
 彼女に一歩近付いたと、はっきり認識したころには、カナタは既に彼女にはまっていた。一番近い女友達、なんて言う存在は、なんてあやふやで、緊張する存在なんだろうと思っていた。
 そのころには、彼女にとって、妹以上の存在になんて、誰もなれやしないのだと、あきらめにも似た感情が生まれていた。彼女の前を歩く兄、彼女が守るべき存在である妹。その二つが彼女の世界の全てであり、それ以外のものはただの構成要素にしか過ぎない。自分は、彼女と一緒にいる時間も長いし、随分近付けたけれど、その存在と同列に並べられることすら叶わなかった。ましてや越えることなど。

『兄さんみたい』
『可愛いって言われて、悪い気はしないけど』
『エーチロさん、見てる』

 エイイチロウのずるさに、唇を噛んだ。彼は、簡単に彼女にとって一番大きな存在である「兄」と同列の存在として認められ、余裕のある態度で彼女に近付き、彼女の心を手玉にとっているようにカナタには見えた。自分がこんなに長い時間を掛けて、何とか彼女の隣にいるのに、こんな短い時間で。
 彼女が、彼を抱きしめてくれた感触を、必死で思い出そうとする。ついこの間のことなのに、既に妄想の産物になってしまいそうなくらい記憶が曖昧だった。
 まるで母親のように、彼女が自分を包んでいたと言うことだけは覚えている。包まれてる自分は、欲望の塊のようだったことも。

「酷いんだ。子供扱いされたの。でも、おごってもらっちゃった。兄さんにつけとく、なんて言って」
「でも、ナギさんから見たらオレ達ってすっごく子供だと思うんだよね。だから、お兄さんから見ても、そうであって不思議はないんじゃない?」
「そうかな?だって、エーチロさん、私の年にはもう、二人目の彼女とつき合ってたって言ってたよ?ふられたらしいけど。へこんでた」

 なら、オレとつき合ってみれば?
 そう言ってみようかと思ったけれど、タイミングを逸してしまった。そんな理由を付ける自分に、また腹が立つ。

「そんな話を聞いて、泣いてたの?」
「だから、泣いてないってば」
「そうだよね。ヒジリさんのことだよね。オレの前だから、話してくれたのかと思った」
「エーチロさんには、何も言ってない」

 だけど、彼は判ってくれたし、彼女を心配してくれた。他の人も君を心配してる、そして自分も、と。

「知ってる。オレには話してくれるって」

 彼女が涙声で電話してきたことは、記憶に新しい。その行為は、彼に僅かな自信を与えてくれる。泣きそうな顔をするくせに、泣いたことは必死に否定する、そんな彼女の泣き声が。

「また、話を聞かせてよ。気が向いたら、子猫も飼ってみると良いかも」

 エイジがこちらに向かって歩いてくるのを確認して、カナタは彼女から手を離した。マドイはその言葉に頷きながらも、遠巻きに彼女を見ていたエイイチロウに視線と心を移していた。







 自分より低い兄に無理矢理肩を組まれ、カナタ達から引き離されたエイジは、力任せに彼を突き飛ばす。

「いてえって!首が曲がる!」
「お前が育ち過ぎてんのが悪いんだ。ちったあ気を使え!」

 小声で怒鳴りながら、カナタ達をそっと指さす。

「気……って。バカ兄貴の口からそんな台詞が出ることにびっくりだ。びっくりだよ!」
「何で二回も言った、愚弟……」
「今さら気なんか使ったってしょうがねえだろうが。カナタだって……」

『オレとマドイがつき合うのって、多分、一生無理だよ』

「カナタだって、それなりに考えてるし、何とかしようと思ってるし、頑張ってんだよ。ああ見えても。兄貴と一緒にすんなよ。今さら気なんか使ったって仕方ねえし、それより、ちゃんとマドイと2人きりだった理由を言った方が、気を使ったことにならないか?」
「だから、さっき言ったことが全てだって。ちょっと真面目な話しちゃったから、オレは疲れたよ。酒も入ってないのに」

 エイジから目をそらし、帽子を目深にかぶり直した。

「カメラ、まわしてないんだ」
「やめてくださいって、強く言われちゃったから。気が強いよね、あの子」

 思わず、遠巻きにマドイを見てしまったエイジ。カナタの手が彼女の腰に回っていた。そのせいか、俯き加減で照れているようにも見えた。確かに、彼女は気が強いけれど、でも。

「それよりさ。カナタに……」
「何だよ?」

 彼の名前に、身震いするほどの反応をしてしまったことを恥じながら、兄をちらっと見つめた。彼は、マドイを見ていた。

「マドイちゃんのこと、ちゃんとしとけって。お前らがどこまであの子の事情を知ってるか、オレもどこまで理解してるか、正直わかんねえけど。それがあの子にとって、どれくらいの負担になってるかくらいは、判ってあげたいだろ?だから……」
「それを理解したいってのは、兄貴も?」
「成り行きだよ」
「ふうん。そう見えないから、カナタは気にしてるんだな。兄貴がマドイにコナ掛けてること、相当気にしてたし。あの無関心男が。よく判った」
「何が?」
「オレにもそう見えるわ、残念ながら。そんなに見かけ、好み?カナタに気を使ってんの、白々しいって」

 弟の言葉に、兄は押し黙ってしまった。マドイ、カナタ、エイジを交互に見渡す。遠巻きに眺めていたはずの彼女と目があったのか、エイイチロウは目をそらした。

「お兄さまは、そんな面倒はしませんって。大体、お兄さまはこれでもモテるんだぞ、愚弟と違って!」

 高らかに宣言し、弟を指さすが、指された弟は兄を冷ややかに見つめていた。

「うそつけ。女とか、いそうにない。こんなカブでふらふらしてるようなヤツに」
「……確かに今はいないけど、半年前まではいたぞ。ふられたけど」
「だろうな……」

 憐れみの目を投げかける弟の態度に、怒ってみせる兄。

「で……でもでも、オレ、こう見えても自分から言い寄ったことは一度もないんだぞ!向こうからつき合おうって言われて……」

 そう言いながら、徐々に勢いが落ちていく兄を不審に思い、思わず肩を叩くエイジ。

「言われたのに……ふられるんだ?」
「……ええ、まあ……。なんて言うの?振り回されるって言うんですか?『思ってたのと違う』とか、『私と課題とどっちが大事なの?』とか、『重すぎて疲れる』とか……」
「あ、もう良い。その話、長くなりそうだし。なんかテンション下がるし、聞きたくない」

 弟の冷たい態度に、泣きそうな兄。どうやら傷をえぐってしまったらしく、エイジはいやな顔を見せてから、カナタ達の元へ向かった。
 エイジの姿を見送り、彼は呟く。

「だからもう、めんどくさいことは嫌なんだって。自分から追っかけると、ろくなことないし。でも……」

『このままでいたい』

 彼女の感触をはっきりと覚えている。彼女を突き放す行為だったはずなのに、下心の方が勝っていた。

『……君、オレのこと好きなの?』

 バカなことを聞いたもんだと、後悔しながら彼女を抱き寄せていた。そのせいで、自分の中で彼女への思いが明確になっていったのだから。

「オレは、君のこと好きかな?」

 カナタの横に座り、前に立つエイジの背中越しに、彼女はエイイチロウを見つめる。同じように、彼も彼女を黙って見つめた。彼は、その理由を理解したくなかった。
 ただ、彼女を見つめていたかった。その思いをうち破ったのは、ナギからの着信だった。

「アロー、ナギ。……えっと、ほんとにごめんなさい」
『……何で急に謝るんだ、お前。何かしたか、誘拐犯?』
「いや、まあ、落ち着いたら懺悔します。で、何よ、こんな時間に?」
『「ながら」に乗りたいから、駅に送ってくれ』

 腕時計を見ると、11時過ぎていた。携帯を耳に当てたまま、マドイ達の方へ歩いていく。

「どこまで送らせるつもりだよ?名駅?お前、こんなぎりぎりに掛けてくるなよ。地下鉄の駅にしとけ、そっちの方が早いから」

 仕方がない……といった感じで、携帯を閉じながら溜息をつく。

「何だよ、また足がわりか?」

 いつの間にかカナタの隣に座っていたエイジが、兄に問いかける。

「『ながら』で帰るんだと。指定席とってあるからって。遅くなったら、下手したら豊橋辺りまで送らされかねんな。自分のバイクで帰ればいいのに」
「『ながら』って?」
「そう言う、夜行みたいな列車があるんだよ。オレも、実家に帰るのにたまに使ってた。寝れないから、苦手なんだよな。まあ、ナギの実家くらいなら……」
「うちに、来たことあるんですか?」

 すっかりいつも通りだったマドイに拍子抜けしながらも、エイイチロウは笑顔で彼女の問いに答える。

「いや、オレはないけど。マドイちゃんは覚えてない?4年くらい前に、内田って言う、こんなでっかいずた袋持った、怪しげな男が君んちに行ってるはずなんだけど。そいつから聞いたんだよ。でっかい道場だったって。ビデオも見せてもらった。ナギと田所さんの模擬戦みたいなヤツ」
「……どんな人かは覚えてないですけど、兄さんが友達を連れてくるのは珍しいから、多分……」

 その「友達」って言うのも、うちの兄貴みたいな感じなんだろうな……なんて想像して、嫌な顔をするエイジ。ナギに友達が少ないことは容易に想像できたけれど。

「その、昔の2人の型稽古のビデオって、お兄さん、持ってるんですか?」
「え、カナタ。そこ、食いつくとこ?」
「それ、私も見たい!」
「マドイちゃんまで?武術やってると、違うのかな。生データはないけど……その映像を使ってる舞台のビデオならあるよ」

 バッグの中を探り、DVDソフトを一枚取り出し、ケースごとマドイに渡す。

「一緒に見れば?それ一枚しか持って歩ってないから、あとで返してね」

 マドイ達の返事を待たず、カブに跨りエンジンを掛ける。

「オレ、先にナギ迎えに行くわ。女子寮だろ?何号棟?どこの入口が近い?」
「え?27寮……エーチロさん、兄さんがどこにいるか、もしかして最初から知ってたんですか?」

 自分の失言に、思わず「しまった」と言った表情を見せる。その表情にも、彼は舌打ちする。

「27寮なら、西入口かな。じゃ、そういうことで」

 彼女に答えず、彼はカブで走り去った。その彼を追いかけようと、立ち上がるマドイ。エイジが恥ずかしそうな顔で、彼を見送る。

「……エーチロさん、全部知ってて?」

『妹とは言え、こんな可愛い子を抱きしめるなんて』
『私にじゃないですよ』

 口元を押さえ、俯くマドイ。微かに震えていた。その横にカナタが立ち、普段しているように彼女の背中をそっと撫でる。2人からエイジが目をそらしていることにも気付かずに。

「どうしたの?何かあった?」
「……エーチロさん、ヒジリのこと……。でも、ずっと知らない顔して、優しかったの。何だか兄さんみたいで。でも、兄さんとは違って」

 彼の感触を、温もりを、鮮明に思い出す。

「ナギさんとか、エイジのお兄さんとか見てると、お兄さんてああいう感じなのかなあって思うけど」
「いや、その見解はだいぶ違う。あいつらを通常の兄貴像と一緒にするな」
「え。そうかな?オレ、結構羨ましいけど。ああいう『お兄さん』いたら、よくない?ね」

 同意を求められたマドイは、頷くことすら出来なかった。






 椿山学園高等部女子寮西口の外側で、エイイチロウはナギを待っていた。

「ナギ、遅いぞ!電車無くなる!」

 エイイチロウが急かすので、ナギは急いで入口にある管理室に顔を出してから、彼の元へ走った。手渡されたヘルメットをかぶり、彼の後ろに跨った。

「良いなあ、女子寮。でもさすがに、女子寮は警備が厳しい、さすがに入ったこと無いな。どうやって入ったんだ?女装?」

 そもそも、学園内にも無断侵入のはずなのに、今さら何を、と言った顔で溜息をつくナギ。

「ふざけんな。お前みたく、勝手に出入りしてるヤツと一緒にすんな。椿山の学生証があれば、3親等以内なら立入許可証が出るんだよ」
「あ、何だ。やっぱ他の寮には入れないんだ。つまんね。でも、入口に入れるだけでも良いよな~」

 カブに跨ったまま、寮の外でナギを待っていたのは良いが、管理人に明らかに不審そうな目で見られていたので。

「浮かない顔だな、ナギ」
「顔なんか、見えねえじゃねえか」

 そうだな。なんて笑い飛ばしながら、エイイチロウはスピードを上げる。ナギは思わず、彼の腰を掴んでいた手に力を込めてしまい、それに反応してハンドルが揺れる。

「何すんだ!びっくりするわい!」
「お前が急にスピードあげるからだろうが!安全運転しろよ!」
「だって、声が沈んでるから!気遣い、気遣い!つーか、優しさ?」

 あえてそう言うエイイチロウの気遣いが、嬉しくもあり、申し訳なくもあった。

「うるせえな、沈んでるわけじゃねえよ!いろいろ考えてたら、めんどくさくなってきただけだ。……あ、そうだ。それで思い出したけど」

 後ろから、軽くヘルメットをこづく。

「来週末、一旦戻ってくるから。空けとけ」
「はあ。何、デートのお誘い?それとも」
「ゲームだよ。また、迎えに来い」
「自分のバイクで帰れよ、もう」

 ナギが不審がる程度に、エイイチロウは重い溜息をついた。

「予約も取っといてくれ。今日、取ろうとしたら取れなかった」
「オレが忘れてたらどうするんだよ」
「それならそれで。他に用があるから。問題なし」
「あ、そう。何、デート?」
「妹達と会うだけだよ。心配だから、様子を見に。あの子も、帰るのはいやだけど、オレとは会いたいって言ってくれてるし」

 その言葉の持つ、複雑な環境と重さに、エイイチロウはつい、押し黙ってしまった。

「黙るなよ。当然だろ?」
「もしかして、あの子達が心配で、わざわざこの学園に入ったの?」
「よく聞こえねえよ。もっと大きな声で話せ!そうじゃなきゃ、わざわざこんな所、選ばねえよ。どう考えたって、なんか仕組まれてるし」
「……オレも、そう思うよ。偶然と言うには、おかしな方向へ話が進みすぎてる」

 早く駅に彼を届けたくて、スピードを上げる。だけど、信号に引っかかってしまい思うようにいかない。溜息をつきながら、ギアチェンジをして再発進する。

「それか?懺悔したいこと?」

 聞こえてるんじゃねえか。と突っ込みたかったが、彼が予想通り、いろんなことを受け止め、受け入れた状態で自分に接してくれていることに嬉しくなって笑ってしまった。

「何だよ、気持ち悪い」
「気持ち悪いゆーな!それじゃねえって。懺悔の必要もねえし。そうじゃなくて」
「悪びれんな」
「マドイちゃん……」

 その名前を聞いて、再び腰を掴む手に力を入れるナギ。再びハンドルが大きく揺れる。

「く……くすぐってえって!危ないだろうが!」
「お前、うちの子に半端に手えだしたら、ぶっ殺す!大体、そんな面どくせえことしないって言ったばっかじゃねえか!」
「待て!声が本気!怖いって!もっと優しく!違うって!!違うって!落ち着いて!痛いってば!!」

 エンジンがついているのに、何故か息の上がるエイイチロウ。すぐ後ろから、ナギの視線が刺さるのが判る。

「……違うって。面どくせえって言っておきながら……本気になっちゃいそうだから。ごめんって。前言撤回って。でも、めんどくさいことには変わりないからさ。愚弟も、カナタには気を使ってるし」
「変わりないから、何だよ」
「そうやって、オレのこと、怒ってくれ。そうしたら、いやんなってやめるかも知れねえし。もう、カナタが噛みついて噛みついて。面白いんだか嬉しいんだか、申し訳ないんだか、判んないよ」
「普通、申し訳ないか、むかつくってだけじゃねえかなあ……まあいいけど。嫌んなってやめる程度のモンなら、止めがいもあるってモンだ」

 ナギの声に一切の余裕がなかったので、背筋が凍る思いだった。

「お手柔らかによろしく。愚弟と酒なしで真面目な話をしたのも、久しぶりだったので。つーか、初めてかも」
「ああ、そう。良い傾向じゃね?お前って、人見知りのくせに、口うるさい説教魔だし、話の内容超重いんだからさ、ヘラヘラしてない方がいいって。兄の威厳が保てるかもよ?」
「うわー……ナギにだけは言われたくねえ……」

 自分は真っ直ぐ人の目を見るから、余計タチが悪いことに、彼は気付いていないだけなのだと。エイイチロウはそう思っているのだから、お互い様だ。

「もうなんか、いろいろめんどくさいよな。どうすると、一番良い方向へ転ぶかな」
「さあな。オレが知りたいよ。少しずつでも、頑張るしかないんじゃないの?自分の望む方へ転ぶように」

 再び、ヘルメットをこづかれる。そう言ってくれるのが判っていたから、エイイチロウからは笑みがこぼれた。

「だよなー。ちっくしょう、何でこんな苦労しないといけないんだ!オレは転んでも、ぜってえただでは起きねえぞ!この野郎!」

 彼の叫びが、一体誰に、何に向けられているものかは知る由もなかったが、ナギも同感だった。

「でもさ、マドイの件だけど」
「いや、だから、まあ、本気になっちゃったかなーていう程度でさ。ほら、人生って何があるか判んないし?」
「お前、自分からつき合うように引っ張ってったことって無いじゃん。ほら、いざっていうときに押しが弱いからって、ノンも言ってたし。学部ん時の彼女だって、みんな向こうからだろ?気が強くて押しが強い女に振り回されてるって、言われてたぞ。だから、まあ、無理じゃね?カナタいるし」
「酷い!ナギも、みんなも、友達甲斐がない!!最低!」

 「彼女がいたこと自体、信じられない」と言っていた幸田に比べたら、随分優しいんじゃないかなあ、なんてナギは思っていたが、予想以上にエイイチロウがへこんでいたので黙っておくことにした。事故られても困るので。
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