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天に向かって唾を吐け! [Spits against heaven!]

第35話 カナタとマドイ


「……何でお兄さんに連絡先なんか教えたの?」

 エイイチロウから距離をとりたくて、カナタはマドイを連れてただ町中を歩き続けた。
 歩きながら、珍しく不愉快そうな顔をして、人の行動に文句を付けるような、そんな台詞を彼は吐いた。それに、マドイは少しだけ戸惑った。
 どこに向かって歩いているかも判らないのに。

「何でって……いけなかった?聞かれたから。だって、兄さんの友達だし、エイジのお兄さんだし」
「いけなくはないけど」
「何が嫌なの?」

 自分が判りやすい顔と態度だからいけなかったのか。
 カナタは無理矢理笑顔を作り直しながら、自分の態度を反省した。
 彼女が直球勝負なのは、いつものことだ。

 彼女はその表情が示すとおり、ただ不思議で、ただ戸惑ってる。自分に少しだけ恐怖を抱きながら。

「嫌なわけじゃない……」
「そんな顔じゃないよ?」
「そう見える?」

 いつもと違う様子のカナタに抱いた恐怖が、少しだけ大きくなった。

「……どこか入ろうか?」

 カナタはゆっくりと首を振り、彼女の申し出を断った。

「ねえ、私って、そんなに背が高くなったのかな?エイジのお兄さん、私と兄さんが同じくらいの背だって言ってたね」

 話を変えようと話題を振っただけだったのだが、カナタはそれに反応し、立ち止まった。
 上から下まで彼女を眺め、再び彼女を戸惑わせる。

「そうだね、同じくらいだ。マドイの方がもっと小さいと思ってた。ナギさんて、小柄だけど、大きく見えるって言うか……錯覚みたいなもんだと思うけど。マドイは、結構背が高いよね。ヒジリさんと比べても」

 笑顔で答えるカナタに、マドイは胸をなで下ろした。

「うん。ヒジリはホントに可愛いの。小柄で女の子らしいし」
「マドイも充分、女の子らしいけど」
「なに、急に?」

 そんなふうにカナタが彼女を褒めることはなかったわけじゃない。悪い気もしない。
 でも彼女は、彼とエイイチロウからの言葉の、自分の受け止め方の違いを強く感じた。

「……なんだか、エイイチロウさんみたいなこと言うのね」

 一瞬、空気が凍ったことにマドイは気付いたけれど、カナタのポーカーフェイスを見て無視することにした。

「そうだね。元々、ナギさんのことすごく気に入ってて、ナギさんが『女だったら最高なのに』って冗談みたいに言ってたくらいだからさ。ナギさんそっくりの女の子が出てきたら、可愛いだの、女の子らしいだの、言うよね」

 その言葉が、マドイには少しだけ不愉快で、唇を尖らせた。

「……そうかも」
「マドイこそ、どうかした?何、その顔」

 そう言って彼女に指を伸ばし、届く前に引っ込めた。

「なんでもないよ。……何か、30回近くも言われたら、悪い気はしないんだけど」
「56回」
「何が?」
「君のこと、お兄さんが『可愛い』って言った回数」
「へー、そうなんだ……」

 普段と違うカナタの様子に、数えていたその行為に、マドイは少しだけ彼との距離をとった。

「……ねえ、どうしたの?」
「どうしたって?」
「何か怒ってるのかな?」
「どうして?オレ、怒ってるように見える?」

 マドイの沈黙が、その言葉を肯定する。

「別に怒ってるわけじゃないよ?オレのこと怖い?」

 彼女は沈黙を保つ。

「怒ってないって。何か、悔しいだけ。オレだってそう思ってたのに、そういうことちゃんと言えないから。人に言われるのが、嫌だな」
「……え?」

  その、彼女の反応に焦ったのは、カナタだった。

「オレ、何かおかしいこと言ってる?」
「ううん」

 顔を少しだけ赤らめて、マドイは必死に首を振った。
 その様子に、さすがのカナタも彼女の感情の揺れを意識して、下を向く。
 道端で二人揃って立ち止まった。周りからの視線に気付いて、カナタが場所の移動を提案する。
 彼女を促すために、彼女の背中を押し、笑顔を見せる。

『好きなのかと思ってた』
『てっきり付き合ってるもんだと』

  ヒジリのセリフと、エイイチロウのセリフが、マドイの頭を巡る。

「……わからないよ……そんなこと言われても」
「何が?どうかした?マドイ?」

 カナタしか思いつかなかった。一緒にいたいと思わなかった。たったそれだけ。

 だから、彼女は深夜、彼に電話をした。
 だから、彼女はいつも彼の隣を歩く。
 だから、そばにいることを選ぶ。

  それ以外に理由なんてないのに。

「もう暗くなるし、お腹空いたから、そこのファミレスでもいい?」

 彼女は辺りが薄暗くなって来ていたことに気付かなかった。目の前には見慣れない店があった。
 随分歩いたんだな、なんて思っていた。
 帰るという選択肢は彼女にも彼にもなかった。

「いいよ。でも、ヒジリに連絡しなくちゃ」
「中ですれば?行こう」

 カナタは彼女に手を伸ばした。 彼女の手を、力強く握る。

「……あ」
「……あ、いや……ごめん」

 手を離そうとしたカナタの手を、マドイが握り締める。

「違う……。違うの。最初にちゃんと話したとき以来だなって」

 とっさに出てきた言葉だからか、彼女にも彼にも意味が判らなかったけれど。彼女が彼に言わんとしてることは伝わった。
 それが、カナタを少し安堵させた。

「友達なら、普通じゃない?だから、その……」
「女の子同士ならね。残念ながら、オレは男だけど」
「……え」

 マドイの表情が判りやすく変化する。それは、カナタを不安にさせるようなものではなかった。
 彼女の心が揺れたことに満足した笑顔で、彼女の手を引き、店に入る。

 怖くて、怖くて、でも妙に心地よくて、体も心も熱を帯びて。
 この感覚が、カナタの心を持ち上げ、カナタ自身を衝き動かす。
 この感覚を望んでいたかどうかは、カナタには判らない。こんなに怖くて、神経を尖らせ無ければいけないものだとは思っていなかったから。

「……カナタ、痛いよ」

 席に座ったあとも彼女の手を握りしめるカナタに、マドイは申し訳なさそうにそう言った。

「ごめん」

 どうして良いか判らないと言ったカナタの表情に、彼女は戸惑う。そして、謝りながらも手を離さない彼の態度にも。

「お店の人、来るから」
「そうだね」

 店員がやってきたのを彼女は視線で知らせる。カナタは仕方なく手を離し、注文をする。しかし、店員が去ったのを見計らって、再び彼女の手を取った。

 いやがるかと思っていたけれど、彼女は逆らわなかった。

「……何で手を?」
「だって、せっかく電話じゃなくて、会って話してるから」
「どうしたの?ホントに…?」
「マドイこそ。どうしたんだよ」
「今日は、そうやって、聞くんだね」
「だって、話をしてくれるつもりだったんだろ?」

 極優しく、カナタは彼女にそう言った。静かに頷いた彼女の目が、少しずつ濡れる。

「話せるところまででいいよ」

 2人は手をつないだまま、黙っていた。
 いつの間にか店員がやってきて、ハンバーグとオムライスをおいていった。だけど、2人はただ手を握ったままだった。

 動かない2人の時間に、先に音を上げたのはカナタだった。

「……オレが強かったら。オレにナギさんみたいな強さがあったら」
「だから、カナタには……」
「マドイは、オレにもっとたくさん話をしてくれるようになるかな?ナギさんには言えない、だからオレに話してくれようとした。なのに、君は黙ってる」
「カナタのせいじゃ……」
「オレも、あの人みたいになりたい。君の前を歩く、彼のように」

 心を空っぽにして、彼の背中を追いかける。彼女は笑顔で『憧れなんだ』と口にする。

「兄さんは兄さんだし、カナタはカナタだよ」
「だったら、なんで?オレ、マドイが今まで話してくれなかったことを、少しずつでも話してくれるようになって、嬉しかったんだ。今まで、オレが君に寄りかかってるような、そんな感覚だったから」
「そんなことない。だって、カナタは話さなくても、私のことを見てくれたじゃない。それに私、カナタといて、楽しいよ?」
「でも、ナギさんのことを好きじゃないか。あの人に、憧れてる」
「好きだけど」
「……やっぱり」

 自分の台詞に、自分でへこむカナタ。彼の手が汗ばんでいくことに気付いて、マドイが俯く彼の顔を覗き込む。

「やっぱりって?」
「ヒジリさんもナギさんが好きだから、マドイもそうなのかなあって。エイジも大抵の男は無理、みたいなこと言ってたから、ナギさんくらいの人なら……」
「え?ごめん、言ってる意味がよく判んないよ。それに、ヒジリのことは……」
「ヒジリさんて、ナギさんのこと好きだろ?男の人として」
「……ええ、そうね」

 マドイもまた、俯いた。
 机の上で手を握りあったまま、2人揃って俯いている様は、端から見ると不思議な光景だった。

「知ってたの?」
「マドイの様子を見てたら、何となく……。そうなのかなって。で、マドイもずっと、ナギさんのことばかり話すから、マドイもそうかなって」
「ヒジリと同じってこと?違うよ、それは。ヒジリは……」

 彼女の声が震える。
 カナタは彼女の両手を包む右手に力を込め、左手を彼女の頬に伸ばす。

「ごめん」
「ヒジリはずっと、あの人のこと好きだったの」
「……ごめん」

 カナタの左手に、涙が伝ってくる。

「私には、あの子が全てなの」
「知ってるよ。ごめんね。ナギさんは違うし、ヒジリさんのことも簡単に言っちゃダメだったね」
「人を好きになるのって、どうしてあんなに悲しいんだろう」
「そうかもしれないね。マドイは、好きな人のために、そのことだけに、そんな風に泣けるんだから」

 彼は彼女の涙を拭い、少しだけ悲しい顔を見せた。
 悲しい顔が出来るのに、自分はどうして泣けないのか、それが悲しくなってきた。

 普段気が強くて、明るくて、冷静なところもあって、でも子供みたいな彼女が泣く姿は、想像できなかった。昨夜の泣き声ですら、カナタには違和感があったくらいだ。

 だから、こうして胸を締め付けられても、涙が出ないんだと。
 カナタは必死で自身を納得させようとしていた。

「あの子があんなに辛そうなの、もう見たくない」

 カナタも、マドイが泣く姿をこれ以上見たくなかった。
 自身の嫌な部分を、これ以上見るのも嫌だった。

「ナギさんなら」
「……兄さん?」
「こんな時、どうするんだろう」

 マドイ以上に、彼はナギの姿を追い求めていた。そのことを、カナタ自身、はっきりと自覚していた。

「こんな時って?」
「君を、安心させて、泣きやませようと思ったら」

 マドイの震えが止まった。

「……兄さんはね、抱きしめてくれるんだって。でも、それって、小さな子をあやすのと一緒なんだって」

 マドイの頬に触れるカナタの手に、彼女は自分の右手を重ねた。

「マドイに?」
「違うよ。ヒジリに。最高に幸せで、最悪なくらい不幸だって。ヒジリはもう、子供じゃないのに。兄さんはヒジリを愛してるけど、それはヒジリが求めてるものとは違うんだって」
「だって、それは……仕方ないよ。あの人は家族が何より大事で……でも、ヒジリさんは男の人としてナギさんが好きだから」
「ヒジリも、そう言ってた。彼の幸せと、ヒジリの幸せは違う。だから、ヒジリはあの人と一緒の家族でいることから逃げたの。でも、ヒジリだけ、そんな目に合わせられない」

 だから彼女は、妹のために一緒にここにいるのだと。

「私は、あの子の思いがどういうのかよく判んないけど。でもきっと、悲しいモノなんだろうなって、思うよ。だって、一緒にいたいのにいられないなんて、一緒にいた方が苦しいだなんて、目の前にいないのにその人のことで心がいっぱいだなんて、本人は悲しくない?」
「そうだね。つらいこともあるだろうね」

 カナタは、彼女の頬を両手で包み、少しだけ力をいれて上を向かせた。

「でも、オレは、辛いことばかりじゃないと思うな。好きな人が出来ると、うまく行かない時ってさ、悔しかったり、辛かったり、悲しかったり、恥ずかしかったり、大変なことも多いけど、それでも、一緒にいて、その人の顔を見てるだけで、何だか幸せな気分になるよ」
「ヒジリも同じこと言ってたけど……私には判んないよ」
「そう?オレには、判るな」
「カナタにも、好きな人がいるの?ヒジリみたいに」
「いるよ。オレはその人と一緒にいると、幸せだし、でもその人が他の人のことばかり考えてるのを見ると悔しいし悲しい」

 カナタはまっすぐ、マドイを見つめる。彼女の目を見ることは出来なかったけど。

「他の人ばかり考えてるの?」
「そう、妹がその人の全てだから」

 そこまで言われて、マドイはやっと、彼の言葉の意味を理解した。
 何故か顔が火照ってくるのを感じながら、彼女は彼から目をそらした。頬に触れる彼の手が、その手に重ねた自分の手が、彼女の世界の全てのように感じていた。

「何で、カナタまでそう言うこと言うの?私には、判んないよ」
「うん。だから、言わない。今のまま、こうやって一緒にいられればいい」

 それでは満足できないと、カナタはもう判っているのに。

「言ってるよ!」
「言ってないよ。マドイのことだなんて、言ってない」

 悪びれず、彼は笑顔を向けた。

「顔、熱いよ?」
「だから、どうしてこんな風になっちゃうのか、判んないよ。そんな、好きなの?とか、つき合ってんの?とか言われたって、どういうことかよく判んないんだもん!」
「判んないんじゃなくて、したくないんだろ?ヒジリさんがいるから。マドイはそう思ってるんだから、それで良いだろ?何でちょっと怒ってんの?」

 彼女の動揺が手に取るように判ったからか、カナタは自分でも驚くくらい冷静だった。
 でも、そんな自分の冷めた部分を、彼はまた嫌悪していた。

「……でも、好きか嫌いかって言われたら、カナタのこと好きだもの」

 彼女の言葉に、そう言う意味はないのだと理解していても、その言葉で満たされるカナタ自身に、彼は喜びを感じていた。
 自身の心を動かす存在に。大きく動き、満たされ、熱くなる自身の心に。

「他の人がなんと言っても、オレはその言葉で充分だよ。マドイも、それで良いと思ってるんだろ?」

 彼女は黙って頷く。

「判らなくったって、良いと思う。オレにだって、よく判らない。それに正直、オレはこうやって自分の心が動いているってことが、動くんだって言う事実が嬉しい。ずっと、どこか足らないって思ってて……辛かったから」

 マドイはそっと彼の頬に手を伸ばし、彼が自分にそうしたように、彼の頬を撫でた。 「顔、熱いよ?」
 彼と同じ台詞を、彼女も繰り返した。

「……うん」
「大丈夫だよ?カナタは、何も足らなく無いよ?私には、そう見えるよ」

 彼女の目は濡れたまま。だけど彼に笑顔を見せた。

「でも……」

 君を泣かせて、泣き止ませられない。
 さすがにそうとは口には出来なかったけれど。
 彼女の優しさが、彼を少しだけ追い詰める。

「ご飯、冷めちゃった。ごめんね」

 ナギがするのを真似て、カナタはマドイの頭を撫で、笑顔を作って見せた。
 もう、食欲なんかなかったけど、無理やりオムライスを口に入れる。

「本当だよ?」

 マドイの一言に、思わず涙腺が緩む。ぐっとこらえるが、顔を上げることが出来ない。
 そんな自分に、カナタは一人、違和感を感じていた。

 どうしてこんなことで涙が出るのか。わからなかった。
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